2010.09.07 Tuesday
一定期間更新がないため広告を表示しています
| スポンサードリンク | - | - | - | |
|
|
|
2010.02.25 Thursday
JUGEMテーマ:読書
殺す、殺す、殺す。 なにしろこのタイトルだ、覚悟はしていたつもりだが、最初から最後まで徹底していた。 殺戮だ。 アメリカ情報軍・特殊検索群i分遣隊の大尉が主人公なので、その道のプロな訳なのだが、仕事を続けられるのは、けして精神的な欠落を意味しない。 仕事以外はCNNのニュースで世界を把握するような非現実感を抱いているような、、一般人に近い部分を強調される彼がなんでそんなことできるかっていうと。そのように心理的に、そして薬物を用いて処置されているからで。 処置されてない読者には耐え難い光景が延々と展開され、ついには目が上滑りを始めるのだ。 多分それはわたしがこのディテールに興味を持てる蓄積がないからだろう。 またこのハナシの眼目は主人公の大尉の内的な思弁にあると感じるからだ、と思う。 仕事で殺す軍人、言ってみれば殺す装置である大尉の思考の右往左往なくしては、ラス前の衝撃と、ラストに至る展開も、まったくもってなんだそりゃ的になってしまうに違いない。 いや、面白かった。 ただまあ、読んだのはJコレクション版なんですよ。図書館で借りたのね。2007年の10月6日、って、身辺日記に書いたんだけど、よくわからない印象だけの文章になってしまってて。こっちに書いてなかった。 著者の伊藤 計劃さんは昨年春に亡くなられ、最後の長編『ハーモニー』が星雲賞とSF大賞の長編部門を受賞された。ダブルクラウンの受賞作は少女が主人公だったこともあり、異性ならではの過剰な思い入れに気づいてしまうと……まあ、だいぶ『虐殺器官』のほうがよかったなと思えたのであった。読んだ時は最後の長編だなんて考えちゃいませんでしたし。 文庫版刊行で、あらためて好評がTwitterでも聞こえてきてるので、解説目当てに買い直すか検討中です。今読めば、あらためて先見性とかに驚くと思うし。
2009.02.24 Tuesday
JUGEMテーマ:読書
手に取った『フィニィ128のひみつ』を読了してしまったりで日が暮れる。
いやまあ腐海の上層にあったわけですよ(汗。 それなりに面白かった。いや素直に2003年に読んでおけ自分。 検索するとまたその。パクッてるとか出てくるわけですが。 この小説の内容を考えればそういう批評は無意味だと思うがどうか、的な感想は抱きました。 ロールプレイングゲームって思いつきの集積であって、その分量というか物量に圧倒されるってのは確かにあるわけで。 なにかしらフィクションに接しながら育つわけで。あらゆる思いつきはなにもないところから生まれたわけではないのだ。 また何もないまったくのオリジナルだと主張されても、文学のパターンはシェークスピアの時代に出つくしてるわけで。 そのうえで、物語消費の方法としてテーブルトークロールプレイングゲームとか、発展型のコンピュータゲームとか新しく出てきて、幅きかしてる現実があるわけで。 マサムネとムラサメがエクスカリバーと同居しても誰も不思議と思わない世界観は、こっち系なら有りなんだねえ。いやこっち系じゃない話なら、不可ですけど<年寄りの頑固者。そういうこだわりは、この話ではどうでもいいので。 ラストのブッタ切り感には驚いたが、このごちゃごちゃの中から、まちがいなく「ひみつ」は発見されている、というところは共感できるなぁ、とは思ったのだった。 カッ飛ばして読んだので、ネタはたぶん拾い損なっているでしょう。 まあ、それはそれでヨシ、みたいな。
2009.01.21 Wednesday
JUGEMテーマ:読書 ある夜、地球は封鎖された。 未知の力によるシールドに閉じこめられ、外界から隔離されたのだ。太陽は毎日昇るけれど、あきらかに封鎖以前とは異なる姿をしている。そしてその外では、たいへんな勢いで時間が流れていた。 SFでなくては有り得ない世界、有り得ない展開なのだが、そこではポール・オースターばりの、緻密なドラマが展開されている。驚天動地なアイディアなくしては、このオーソドックスな物語展開が可能にならなかったあたりがまた心憎い。 高度な設定に必要最低限の人物と物語を盛ってSF小説として売られている例は結構出くわすのだが、それ以上の何かを盛れないってわけじゃないのだと、しみじみ思った。 オースター調の物語展開は主流文学寄りで、これで評価されたというのはなるほど頷けるデキなのだが。主流文学寄りってことはつまり、旧態依然たる社会というか人間の精神構造から離れられなかった、ということでもある。 世界の中心に父と息子がいて、息子は父に逆らい、ブレイクスルーを導くことで、父の築いた世界を壊す。 そして女性は主筋から排除されている。産み、育て、看取る存在としては受け入れられるが、女性が自分の意志で動けばすなわち、父と子に対して罪をなす。 こういうオイディプス話の展開は先が見えるし、疎外される側の性に生まれてしまった者としては、正直、またかと苦笑しつつ読み進む以外ないのだ。 まあ、この話は、科学的に高度な架空の構造を構築したSFの弱点、つまり、高度な科学知識と識見を持つ人物――多くは科学者――でなければ事態を収拾する主人公になれない、物語を導くファクターとしては読者から離れすぎてしまう部分を、主人公役でなく脇役に視点をおくことで回避している。 視点のおかれた人物は父の息子ではなく、主筋からは疎外されている存在であるせいか、なんとか読み通せたのだった。 しかしこの作品の疎外は、古来連綿と受け継がれてきた男社会の、女性排除というか憎悪、つまりミソジニーのあらわれという以上の広範囲に及んでいる。 (略)スピンの実態が公表され八年を経た時点においてさえ、スピンが「自分自身および家族に対する直接的な脅威」と認識している一般市民は、ヨーロッパと北アメリカにしかいなかった。アジアとアフリカ、そして中東のほとんどの国の人びとは、これはアメリカの陰謀である、あるいは、昔のスターウォーズ計画を蒸し返したあげくの重大事故に違いないと思いこんでいた。 アジア人としては大いにひっかかるところだが、まあ小説だし、実状として否定もできないなあと思うしで、さておくとして(笑。 長すぎるので引用できなかったが、この後段で、SFの読者は科学的な外挿を重ねて大きな構造を理解する思考実験に慣れているので特別、みたいな言及はあるので、気にならないのかもしれない、というのはあるのかもしれないが。ある実験――世界全体のブレイクスルーを導く試みを可能にするための壮大な仮構として、この長大な物語が書かれたのであれば、このとんでもない切り捨ても枝葉末節というか、必要の前にはしかたないこと、なのかもしれぬ。 しかしSFはずいぶんいろいろなものから、わたしたちを自由にしてくれたんだなあ、と、思う本でもありました。 以下は蛇足なうえ、ややネタバレかと思うので畳んでおく。
2008.10.21 Tuesday
感染し発病すれば必ず死に至る伝染病の最初の兆候は、顔一面の紅潮である。
赤とはいいがたいその色から、病は The Scarlet Plague と呼ばれた。 物語はその後の世界で語られる。 流行が始まり全世界に広まって、世界が崩壊したのは2013年、そこからすでに六十年がすぎている。当時大人だった最後 のひとり――カリフォルニア大学の英文学の教授だった老人が語る死病の伝播のさまは古くて新しく、1910年代初頭の作品とは思えないほどだ。 そう、スペ インかぜの世界的流行ですら1918年〜1919年なのだ。 運にも恵まれたとはいえ、想像力と判断力を働かせて生き延びてきた老人も、年若い孫に面倒を見てもらわなくては、その日を生き延びることもおぼつかないほど老いて、弱っている。 弱った老人をからかっては笑い、病原菌を説明しても理解しようとせず、部族の呪術師のおどしに怯える若者を見て、文明の喪失をかれは嘆くのである。 いやはや。現代日本でも、その喪失は日々迫っていることのように思えるのであった(汗。 科学文明の破滅がなくても。 著者は『野性の呼び声』のジャック・ロンドンその人で、ジャック・ロンドン選集5巻にも収録されている。 そして、世界SF全集31にも収録された、ディストピアSFなのであった。 野性の世界と、野性に帰した人間の真に迫る描写が、文明の喪失と荒廃に迫力を与えている。 書かれたのはおそらく1910年代前後であり、時代的な制約はあるが。さすが、と思える一編でした。 JUGEMテーマ:読書
2008.10.11 Saturday
作家名で追いかけてる人なら説明も今更というかおなじみの、電脳ネットワークばかりが発達した世界で。帝政ロシアの支配を受ける江戸、その吉原を舞台に、皇帝のご落胤を追いかけて、転石を追うように物語は進む。 サイバーな話はいろいろあるが、パンクなのは珍しい。いや、自分でそう思うだけで、本作がパンクじゃない可能性は高いのだが。 冬のロシア、修道院の僧坊から世界を映し出す序章はいっそ見事だ。 「(略)世の中には、あらかじめ分かりやすい回答を用意してやらないと一篇の物語を読むことさえできない人たちがいる。賢者たちの中にもいるのだ。現実的な人々は皆そうだ。だが、矛盾するようだが、それでは現実を把握することはできない。何故なら、現実は分かりやすい回答を前もって用意しておいてはくれないからだ。お前は賢い。だからこそ言っておく。回答は用意されていない。回答などというもの自体が妄想なのだ。 物語はそう思って読み、人生はそう思って生きなさい」20p 師から弟子に告げられる訓戒は、すなわち読者たるわれらへの警告だろう。 読者たるもの、じゅうぶんに現実的でなければ、本作のような、容易に依拠できる現実が作中に存在しない作品には追随できないはずだが。ひ弱な現実感などすべて振り捨て振り回されるのもまた得難い体験なのではないか。 そう思わされる、生きてるサイバーパンクに、久々に出会った。 ペダントリーの苦手な人には向かない話かもしれないが、ネタは分からなくてもダイナミズムに身を任せるコツさえつかめれば、おもしろいと思う。 星ひとつ減は価格(汗。文庫なら買いましたが、これだと図書館に行くしか。 JUGEMテーマ:読書
2008.04.13 Sunday
JUGEMテーマ:読書 アンタも好きねぇ、というのが誉め言葉だったりするわけだが(笑。 怪獣のムリについては『空想科学読本 1』(リンク先は新装版)が出る前から、大学SF研などでは囁かれていたのである。一部体育会系もあったようだが、おおむね理工系サークルであって、理屈をこねるのはみんな大好きだった。 しかし、それを宇宙史にとりこむ仮想パラダイムを、SFと地続き感を持たせて作り上げる、というのは、なまなかな「好き」ではできない、と思う。<誉めてるんですさっきから。 直線的な物語のチカラは有川浩『空の中』のほうがやや勝るかもしれないが、仮想科学をはじめとする構築力のすばらしさといったら、やはりコチラだろう。 そのパッションの原動力たるや、怪獣物が好きだ、というファンの思い入れなのだが、ここまで来ればご立派、まさに「アンタも好きねぇ」なのであった。 科学とSFばかりでなく、神話伝説民俗幻想トンデモ?など、ネタは多岐に渡り、ニヤリとさせるサービスも惜しまない。流石だ。 しかも、最後の落としどころたるや(ネタバレ注意)。 そうか、そうだよなあ、そんな気持ちだったっけ、と、思い出させてくれるわけで。 まあ、図書館の順番待ちまくったあげくなので、今更だけど、特撮怪獣好きは必須の押さえどころでしょう。構築系異世界もの(ハードSFでもハイ・ファンタジイでも)好きはダマされたと思って、ひとつ。 それにしても「第五期」ですか。まったくの見当違いかもしれないが、例の物語が第三紀とすりゃ、その後の人間の時代は第四紀、我々の生きているこの時代は第五紀か第六紀にあたるわけで(笑。ここに相似形を見てしまうのはトールキニアンのサガかもしれません。 |
テルーの唄 (ゲド戦記 劇中挿入歌) (JUGEMレビュー »)
手嶌葵, 宮崎吾朗, 寺嶋民哉 すぐれた楽曲に、出てきたままの素直な声が活かされた佳品。歌詞はまあちょっとアレだ、「こころ」って言い過ぎ。 これに合った作品になっているのか、とりあえず、映画を見定めようと思った。
金春屋ゴメス (JUGEMレビュー »)
西條 奈加 人が月に住むような未来なんだが、ここの日本には「江戸」がある。あるったらある(笑。文章もこなれた時代物で謎解きったら捕物帖、っていうより昔のテレビの「大都会」な感じで、面白いっす。 いやファンタジーノベル大賞ものなんで、「……それムリだから!」ってツッコミ入れたくなるような突拍子も無さがあるんだけど。そこがまたいいんだね。 |
copyright(c) 2006-2008 Omiyu's Space some right reserved. |
⇒ なめたけ君 (04/15)
⇒ 折原偲 (09/07)
⇒ (09/05)
⇒ 藍色 (02/24)
⇒ 偲 (08/13)
⇒ 月ノヒカリ (08/09)
⇒ 偲 (06/22)
⇒ madmax (06/20)
⇒ 折原偲 (09/25)
⇒ remo (09/24)