2010.09.07 Tuesday
一定期間更新がないため広告を表示しています
| スポンサードリンク | - | - | - | |
|
|
|
2008.12.11 Thursday
図書館の新着に『タイタス・クロウの帰還』が入ってたんですが、買ってたかどうかもあやしいので1巻から。
知る人ぞ知るアーカムハウス叢書『黒の召喚者』当時は買ってませんでした。なにしろゼニがなかった(笑。【SF美術館】のアーカムハウス叢書ページで確認したら、カバーアートが記憶にあるのは『呪われし地』でした。 いやそれはともかく。ラヴクラフトの衣鉢を継ぎ、ダーレスの遺風を発展させたオカルト探偵物なわけで。「妖蛆の王」なんかもう伝奇アクション小説のアーキタイプそのまんまだ。 『黒の召喚者』日本語版の序には「私は(私だけは)神話を死なせたりしない」と宣言されているのだという。 そのとおり、神話はここに生きている。 いくぶん限られた趣味であるにしろ(笑。 こういう本こそ買うべきなのかもしれないが、とりあえず2巻『地を穿つ魔』を図書館で予約。 たのしみだなあ。 JUGEMテーマ:読書
2008.11.07 Friday
『星を駆ける者』ドラキュラ叢書 第4巻 ジャック・ロンドン/森 美樹和訳 国書刊行会 1976年/定価980円 ISBN 978-4-336-02579-1 (4-336-02579-7) 内的な飛翔、精神だけとなって旅をして、異世界や過去世に行く、というのは、幻想文学で好まれてきたモチーフである。 本書の主人公は農学者であったが殺人の罪を犯して無期懲役に処せられ、収監された刑務所で、不服従のかどで過度の刑罰により瀕死の状態となる。生き延びるため、主人公は内的に沈潜し、精神体として旅をすることに成功する。さまざまな男の人生を生きては死に、ついに神話のアーキタイプというか集合無意識的な認識に至るのだ。 訳者あとがきによれば、登場人物など歴史的に事実と確認できる箇所が散見され、内的飛翔についても、当時、流布していたオカルト趣味においてはよく知られ た説と一致するのだという。現代のSFやファンタジーのような、ジャンル愛好者のために書かれた作品、というよりは、リアリティというか実話系と見るべきか。 内容はなんというか流石に『野性の呼び声』の著者というべきか、流石の迫力である。マチズモーなんて言葉が頭にちらつくような状態だと、終盤、到達した人生の奥義を披瀝する部分なんかは非常に白けるのだが。これが作家性というものなんだろうな。 JUGEMテーマ:読書
2008.09.22 Monday
赤道上に、戦後最大規模の鼓笛隊が発生した。 なんのアナロジーだかは言うまでもないが「弱めながらマーチングバンドへ」のところに、ちょっとひっかかるだろう。鼓笛隊といえば小学校の運動会につきもののアレで、マーチングバンドのほうが奏者も規模も大きいはずであるのだが、その逆説的なチカラで、現代日本人の根っこに隠れている何か、とくに違和感を浮き彫りにしてみせる手並みはなかなかに見事だ。 現代と違和感を扱っていながら、その書かれようは、半歩引いた堅実さを感じさせる。見慣れた名前の手練れの短編を読んでいるような、そんな手堅ささええるのだ。 デビュー作が『となり町戦争』とは信じられないような気がする。 それでもなお感じられる新しさは、語られる違和感が、日常のなかにあってなお、新しいからなのだろうと思う。 短編のインパクトとしては「鼓笛隊の襲来」はさすがにタイトルストーリーになるだけあるのだが、「象さんすべり台のある街」もいい勝負だろう。現代性なら若さの不安と向き合う「彼女の痕跡展」か「覆面社員」だろうか。 個人的にはやはり「突起型選択装置(ボタン)」か。 うなじの少し下、外からはみえないところに、ボタンのある女が現れる。持とうとして持ったのではない、自分でじかに見ることもできない、ボタンは実のところ禁忌である。ひとは言葉でも手の指でも、ボタンに触れようとはしない。万一触れたらどうなるか、知ろうともしない。言葉通り「得体の知れないもの」として、ボタンはただ忌避され、遠巻きに見張られる。 カタストロフィやカタルシスのない幕切れに、他者と深く関わることをためらう自分を見る気がする。 そして物語上の「ぼく」と「彼女」が、ふとしたことで入れ替わりかねないこと、それがこの話の恐怖なのではないかとも思う。 NHK-BSの「週刊ブックレビュー」で評を聞いて図書館に予約、3ヶ月くらいは待ったとおもうが、待って良かった感じで。 JUGEMテーマ:読書
2006.10.02 Monday
ハードカバー買ったし、これいいよと騒いで、友人に貸しまくったのに。 いや改めてひもとくと、おぼえていない話がたくさんある。これと気に入った本はふだん、細かいネタまで覚えてしまうほど短期間に繰り返し読むほうなのだが。 そうでなくていいほど、気に入ってたんだなあ。 舞台はほんの百年すこし前の日本の片田舎。主人公は大学を出たものの、まだ海のものとも山のものともつかない、文士志望の青年である。 かれの若くして湖に消えた友人の父親で、月々のしろをいくばくか渡すからと、隠棲して空き家となる自宅の家守に雇う老人がいて。 主人公はその家に住み、日々、文筆の行に励むわけだが。 その家では、ゆったりと月日はながれ、季節がめぐっていく。 そして化かされそこなった狸にタケノコの礼をされ、花精にいとまごいをされるようなかれのところにだけ、消え失せたはずの友人があらわれるのだ。 今改めて思う。 この物語を通じて流れるのは、失った(あるいは喪った)ものを惜しむ情であるのだと。 今のヒトは、いや、物語の中の時代ですら、日々の暮らしに追われていて。 むろん知らせを聞けば胸を痛め、喪失の情を新たにするのだが。惜別の情をおのれの言葉とし、縁もゆかりもないひとの胸を打つ物語として、いつか紡ぎ直すことのできる日まで、あてもなくそれだけを大事に抱いているわけにもゆかないのだ。 いや本来、関わりのないことだが。 コミケの米沢さん(ほかに呼び方思いつかないんだ)は、わたしには星のように遠い人だった。確かに輝いているものだと、信じていたのだと思う。訃報を聞くとは、思いもよらなかった。 [コミックマーケット公式サイト訃報ページ] 心より、ご冥福をお祈りします。
2005.02.20 Sunday
荒れ模様の土曜、いや春めいていた木金との落差も大きかったが、もうキャンセルきかないこの日に限ってこの天気ってどうよ、な感じで。綿入れロングコートだとガシガシ歩けば体温は上がるが寒風でハナが垂れる。あああ。
無事電車に間に合い、持参の本を開けば、舞王城太郎なのである。『熊の場所』である。はまってる友人が貸してくれたもの。ありがたや。 ううむ、結局、ドライヴ感なのかなあ、と。自分的感想はそれに尽きる。いや言葉の意味もよくわかんなくて使ってるわけですが。まあ、読み手のコンディション問わないであろう読み進みやすさ、どこかに連れて行かれ感では近来にない強さで面白かったです。結末の放っとかれ感も、まあこの長さ(中編まで)ならヨシ。 ドライヴとくれはグルーヴ、タメとモタりとどう違うの、って、そのへんがないと、もっと長い話は厳しいですな。あたりまえだけど。 乗り換えうまくいって読了できず、残り5%で到着。いや吹きさらしで待たずに済んでほんとうに良かったけど、もう残りが気になって気になって。人前で読んでしまい「可愛い本ですね」と話題をフられ、返答に窮する。いやタイポでピンクのテディベアのカバーにね、なっておるわけですよ。でも中味がナニですから(絶叫。白昼公衆の面前では詳説できませんでした。残念。 『熊の場所』 舞城王太郎 講談社ノベルス/講談社 2004年12月 819円 ISBN:4-06-182407-4 bk1 Amazon 楽天ブックス |
テルーの唄 (ゲド戦記 劇中挿入歌) (JUGEMレビュー »)
手嶌葵, 宮崎吾朗, 寺嶋民哉 すぐれた楽曲に、出てきたままの素直な声が活かされた佳品。歌詞はまあちょっとアレだ、「こころ」って言い過ぎ。 これに合った作品になっているのか、とりあえず、映画を見定めようと思った。
金春屋ゴメス (JUGEMレビュー »)
西條 奈加 人が月に住むような未来なんだが、ここの日本には「江戸」がある。あるったらある(笑。文章もこなれた時代物で謎解きったら捕物帖、っていうより昔のテレビの「大都会」な感じで、面白いっす。 いやファンタジーノベル大賞ものなんで、「……それムリだから!」ってツッコミ入れたくなるような突拍子も無さがあるんだけど。そこがまたいいんだね。 |
copyright(c) 2006-2008 Omiyu's Space some right reserved. |
⇒ なめたけ君 (04/15)
⇒ 折原偲 (09/07)
⇒ (09/05)
⇒ 藍色 (02/24)
⇒ 偲 (08/13)
⇒ 月ノヒカリ (08/09)
⇒ 偲 (06/22)
⇒ madmax (06/20)
⇒ 折原偲 (09/25)
⇒ remo (09/24)